はい、というわけで過ぎ去った夏を振り返る記事第二弾は、8月20日の東四町会例祭(神輿)についてのご報告です。 皆さん、この辺りの住所は「中央」や「松島」なのになぜ「東四町」会なのか、疑問に思ったことはありませんか。っていうかそもそも東四町の意味がわからない! とうよんちょう…どこ…? 特に気にならない皆さんにはどうでもいい情報ですが、広報おやじはすごーく気になったので調べてみました!
事の起こりは1962年(昭和37年)。「住居表示に関する法律」という法律が制定されました。それまで「地番」といって、土地ごとに番号を振って住所としていたものが、次第に入り組んで複雑になってきたので新たに住所をつけましょう、という決まりです。そもそも地番と住居表示の違いってご存知でした? 生まれてこの方賃貸暮らしの広報おやじはとんと存じませんでしたね。 まあとにかくこの法律を受けて、江戸川区内の各地でも住居表示が進んでまいります。地番は残ってるけど、今まで呼んでた住所とは違う新しい住所になったんですね。というわけでして1965年(昭和40年)、それまで「東小松川四丁目」であった場所が「中央◯丁目」または「松島◯丁目」という住所に変わりまして今に至るという、壮大な歴史大河ロマンがあったのでした(江戸川区HP 住居表示旧新・新旧対照表 内『昭和40年9月1日実施分から平成26年11月4日実施分まで』参照)。長いことこの辺りにお住まいの方々、特に持ち家の方々には「何を今更」っていう話なんでしょうが時の流れるのは早いもので、もう50年以上前の出来事です。今現在三松小の子供たちの親の世代が大体30-40代ですから、町名の由来について知らないって方も結構いるんじゃないでしょうか。おっと、意外と為になるなおやじブログ! 今度の井戸端会議でさっそく披露しちゃってくださいね! ついでにおやじブログのことも広めてくれてもいいですよ!
さて、ようやく本題のお神輿です。実は広報おやじ、またしても不参加でして…すみません。まずは朝9時半から12時まで練り歩いた子供神輿。これは千葉街道ですね。
子供神輿についていく大太鼓の…山車? でいいんでしょうか。子供たちにとっては一歩一歩が貴重な体験です!
続いて午後は町会はじめ地域の皆さんが一体となって担ぐ大人神輿。おやじたちもいます!
香取神社、夏祭りや初詣でも賑わってますね。その奥の方にひっそり鳥居が佇んでいるんですが、案内を読んで大変貴重なものと知り、腰を抜かす驚きをこらえてご紹介します。
今は解体されてますがこの鳥居、1780年建立という小松川の生き証人! もうそろそろ教科書に載ってもおかしくないレベルの有り難さ! 旧町名でうろたえてる場合じゃない、江戸時代へと遡る驚異のタイムトラベル空間がこんなご近所に広がってたなんて! 1993年に解体となるまで、どれほどの景色を見てきたんでしょうねえ…。今はもう跡形もない三松小旧校舎なんて「まだまだ若いのに」って言われちゃいますね。 調子に乗って調べていたら江戸川区のホームページに貴重な資料・写真がたくさんあるのを発見したので、ご興味ある方はぜひ見に行ってみてください!